「その龍化けて石と為す!」~伊予古蹟志の記述
江戸時代の儒学者、野田石陽(1776‐1828)が書いた「伊予古蹟志」という愛媛の地誌があります。
その高浜村の章に以下のような記述があります。
「又有神祠、曰祭諸山神、祠前有石、扁然可覆、名曰神幸石、或曰岩神石、瑞正中、神乗龍而遊矣、其龍化為石、又云、神屢遊斯石上、故名焉」
「又神祠有り。諸山神を祭と云う。祠の前に石有り。扁然覆可し。名を神幸石と云う。或いは、岩神石と云う」
「小さな神社が有る。諸山神を祀ると言われている。祠の前には石がある。扁平な石が上から覆われている。名を神幸石と言う。あるいは岩神石と言う(筆者訳)」
「瑞正中」
「瑞」は「瑞相」「瑞験」などに用いられ、「前触れ、前兆、めでたいしるし、吉兆」などの意味があります。「正中」は体の正中線などに用いられ、要するに真ん中を通る時という意味に解せます。辞書には「天体が観測地点の子午線を通過すること。あるいはその時」ともあります。
つまり、昼夜がちょうど半分の真ん中が「正中」と理解します。
昼夜がちょうど半分の真ん中の日は、季節の分点「春分・秋分の日」です。
従って、「瑞正中」は「春分・秋分の日に吉兆が顕れる」と私は解きます。
「神乗龍而遊矣」
「神が龍に乗り、そして、遊ぶ(筆者解釈)」
「其龍化為石」
「その龍、化けて石と為す(筆者解釈)」
これは、もう文字どおり、白龍石は「龍が化けて石と為した」という伝承が残っています。従って神社の名称も「白石龍神社」とされたのでしょう。
「又伝神屢遊斯石上」
「又、神がしばしば、このようにしてその石の上で遊ぶと云う。(筆者解釈)」
「故名焉」
「故に名がついている(筆者解釈)」
ここでの「神」についてですが、私は「神」=お日様(太陽)と解きます。
「太陽(神)が遊ぶ」という表現は実は瀬戸内海地方の朝日、夕日の表現に現在でも盛んに使われています
地域の観光情報誌「ぶらり三津浜マップ」では「夕日が四季を旅する町」と表現されていますし、小豆島の夕日スポットでは、「瀬戸内海ならではの島々の間を遊ぶ夕陽が見られます」と表現されています。